漆250年引継ぎ 現在7代目は約50年を受け持ちました。
そろそろ次の代に渡すため、漆の産地の過去から現在までのものづくりの現場も含めて記録して整理しなくてはならないと考えました。

日本の漆芸の技とその可能性を探る為に、自ら欧州へ出かけて色々なアクションから数々の縁(えにし)を頂きました。それらを日本の手わざ工芸の新たなステージに活かしたいと考えています。

250年とは長いとされる江戸時代は260年ほどと同じである。その間には色々な事があり天保4年の庄内沖地震の能登に押し寄せた津波で家屋倒壊。明治43年の千二百棟焼失した大火で母屋焼けるが、塗師蔵がそれぞれの災害を乗り越えられた。

江戸明治大正昭和と時代の変化にも漆を続けられたのも、小さな職人工房だからなのであろう。したたかに生き抜いてきた代々を考えると、現代ならではの工房や仕事のあり方を考え続けてきた。仕事に関しては昔は書き記しで記録されているが、当代ではWebを活用する事を30年前ほどDosからWindowsに変わる頃から工房情報を公開始めている。

欧州に出かけるのも、Web情報からをきっかけであった。

特別の誂え仕事が主であり、意匠調べから時代の流れのなかで、漆芸とされる漆や漆装飾の技術は単に伝統という流れで”わざ”が制作されてきたのではなく、求める人と作る人またそれを繫ぐ人たちがいて、物が作られてきたと考えていた。

ゆえに、産地の中にとどまり仕事をしてきたが、世の中の流れとは違った仕事との向き合い方だったように思う。
作りたい物を考えるのに、その表現にはどの様な手法を使おうか。伝統のといわれる技術を踏まえながら、素材の違いに応用する為にはどうすれば良いだろうか。常に意匠と技術の工夫の日々です。故に世間で言う「伝統工芸輪島塗」という型にはまる事や、漆器にのみ向き合うなどは考えられない事であった。それ以上に他分野とのつながりからの仕事は、流れを作るまでには大変だが、常に新しいことの発見であり、それらが現在の仕事につながっている。

だが、若い人達に仕事を教える時代はそうではなかった。技を習得した後仕事を生業としなくてはならないことから、「伝統工芸輪島塗」という高級漆芸の分野での制作の中で仕事に関わらせていた。その二十余年があったために、現在の取り組みが遅くなってしまった。