代々の当主は長生き

初代は1749年生まれ2017年現在まで268年間で七代。過去帳を見ると江戸時代でも70歳以上生きた人達が何人かいるし、母方も江戸時代天保8年まで辿れるが、わりと長生きであった。

父90母95で祖父は明治2年生まれ。こんな家系で、塗師の家となると道具などにも新調した年号月日だけではなく30の内17などと、それぞれの物に筆書きする事が慣わしとなっている。

明治42年新調と記載の製造品箱(いりわ)

この記載の年号はいわくつきで、この次の年明治43年に大火に遭う前年なのです。このような箱を30作ったと聞く。これには第二十六と書かれていて他にも残っている。漆を漉す馬は江戸時代のもの。
注文をもらった注文控えには形状までも、簡単だけれどしたためてあった。

こんな家柄だからかもしれないが、天保の津波(※1)の被害状況も聞き伝えられている。またその災害時に誰一人として家族を失っていないのだ。潮が大きく引くときの潮音の不気味でかなりの音だったと聞いている。近くの避難できる小高いところまでは早くて10分以上かかるのだから、潮が引き出した頃にはすぐ非難を始めたのだろう。

また明治43年の千二百軒以上燃えた大火でも塗師蔵は助かった。蔵の重い土戸を閉めて泥で目張りをして避難している。だから蔵の中のものは助かったのだそうだ。当時輪島町内には塗師蔵は幾つもあったが残ったのは少なかったそうだ。小学校の頃に何十軒も燃える火事があったが、親戚や近隣の人たちが集まってきて、蔵の土戸を閉め熱い熱風や火が入らないように、目張りをし始めていたそれを見ながら避難した思い出がある。

だから、経験の無いような災害を受けそうになった時は、役に立つのは訓練もそうだが、次々の代に言い伝えておくことが大切だと思う。

災害だけではなく、時代の流れや変化にも事前に備え対応しなければならない事も、先祖たちの生き様を辿ると思い知らされる。

 

外部リンク↓ここで記録されている輪島の被害や津波の高さは推定であり実際は違っている
※1 「天保4年(1833)山形沖地震とその津波の規模」

ここで記録されている輪島の被害や津波の高さは推定であり実際は違っていて、3ページ目に紹介されている「加賀史料」を調べてみると天保4年のページに輪島の被害の事がかなり生々しく書かれている。

この津波の倒壊家屋の事は、輪島の「住吉文庫」文書記録の中に、当工房の名が記載されていた。